人文フォーラム、それから辺境の写真展

 日曜日の朝、京王プラザホテルで開催されたモスクワ大、北大共催の「人文フォーラム」を聞きに行った。

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 ブルリュークと日本の関わりについてタチヤーナ・コルトヴァさんが報告されていて、これまで見たことのなかった風景画をたくさん見ることができた。アレクサンドル・レデニョーフさんの今日の報告は、ナボコフの短編「クリスマス」のテクストに隠されたВとСの文字について。昨日はペレ―ヴィン『アンピールV』について、ロシア語のキーボードでампирと打つとWの字になるというコメントをされていたのだけれど、「隠された文字」を見出すのが好きな方らしい。

 フォーラムの終了後は大通公園に移動。ライラックまつりがやっていたのだが、そこには行かず、IKEUCHI GATE へ。

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 6階の書肆吉成で金子遊の写真展「混血列島のフィールドワーク サハリン・北海道・八重山・台湾」を見る。他にタイ、カンボジアなどの写真も。サハリンの写真はウィルタやロシア人の子供たちを撮影したものだった。

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モスクワ大の先生方との集い

 モスクワ大の先生方が札幌大学にいらしたので、「文学の集い」が開催されました。
 現代文学についての講演をしたA. レデニョフ先生はトルスタヤ、ウリツカヤ、スラヴニコヴァ、ソローキン、マカーニン、シーシキン、ヴォドラスキンを紹介した後、ヴェニヤミン・ブラジェンヌイの詩を朗読されました。また、Yu. ルイジフ先生とE. ヤッフェ先生が、ロシア民謡を歌ってくれました。
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 レデニョフさんの講演は偏りのない紹介であるように見えながら、スラヴニコヴァの短編「バシレフス」、ソローキンの中編『吹雪』、プリスタフキンの短編「写真」など短い作品が多く取り上げられていて、ロシア語で長編を読むのが難しい学生向きの配慮なのかと思っていたのですが、その後の夕食の席でも「ウリツカヤは『女が嘘をつくとき』が良い」などとおっしゃっていたので、たぶん、凝縮されたテクストがお好きなのだと思います。
 それから猫の出てくる作品に言及されることが多かった気がして、スラヴニコヴァの短編もそうだし、朗読された詩 "А те слова, что мне шептала кошка" もいきなり猫が登場するし、宴会では「日本語では猫の鳴き声は何というの?」と質問されていたのでした。

大使が大学に

 昨日、ミハイル・ガルージン駐日ロシア大使とアンドレイ・ファブリーチニコフ在札幌ロシア総領事が札幌大学にお見えになり、理事長と学長、さらには学生たちと懇談されていった。

 ロシア語を学ぶ学生に対する期待を感じた。期待に応えられるかは、学生たちや我々、教師の努力にかかっている。

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ブリタニカ百科事典創刊250周年特別版

 このほど刊行された『ブリタニカ国際年鑑2018』の記事を、いくつか執筆している。

 今年の巻は「ブリタニカ百科事典250周年特別版」とのことで、古い販の記事21本と著名人の書いた記事9本が収録された。21本の記事の中には「エーテル」や「女性」といった常識の変化を感じさせるものもあれば、「子供の遺棄」といったショッキングなものもある。

 著名人の書いた記事は、その顔ぶれに眩暈を覚えてしまう。今は記事の中に収められた人物が、自分で記事を書いているのである。アインシュタイン「時空」、アンセル・アダムズ「写真芸術」、マリー・キュリーラジウム」、サダト「エジプトと中東和平」、トロツキー「レーニン」、ヒッチコック「映画監督」、フロイト精神分析」、ダライ・ラマ14世「慈悲の心」、ワット「蒸気機関」というのが、そのリストだ。

 今回はトロツキー「レーニン」の翻訳を担当することになった。光文社古典新訳文庫に収められている回想とは違い、世界の読者にレーニンの強靭さを伝えようとする、熱気にあふれた文章だった。

 国際年鑑では例年、「ロシア文学」の項目の日本語訳を担当しているのだけれど、今回は「250周年」ということで英語版の年鑑の構成が変わってしまったらしく、「ロシア文学」の項目は翻訳ではなく、私が自分で執筆することになった。ダニルキン『レーニン』、ブイコフ『6月』、ニコラエンコ『ボブルイキン殺し』、ペレーヴィン『iPhuck10』、ソローキン『マナラガ』について紹介している。

 ちなみに、表紙にはトランプと習近平、裏表紙には小池百合子カズオ・イシグロの写真が使われているので、数年もすれば思い出深い本になるだろう。

中日異文化コミュニケーション

 孔子学院で講演会があるので、学生さんと一緒にどうぞ、というお誘いを受けた。講師は天津外国語大学教授の修剛先生。中国の日本語教育界を担っている方らしい。

 「中日異文化コミュニケーション――同と異のとらえ方」というタイトルだったのだが、外国語教育が専門の方なので、翻訳をめぐる誤解やトラブルの話が中心だった。ダジャレも満載で、米原万理さんのような人は中国にもいたんですね。

 文化相対主義の説明をしながらも、靖国問題尖閣問題をめぐる中国の立場が正当化されるのだが、中国は体制の異なる国なのだから、そういう主張になるのも不思議ではない。むしろ、日本や中国で互いの国に対する反感が高まっていること、中国が日本に対して脅威となっていること、中国の近代化において日本文化が大きな役割を果たしたこと(たとえば「人民」などの概念を漢字で表現したり、マルクス主義を紹介したりした)を積極的に紹介していて、好感を覚えた。

 とはいうものの、今や歴史認識問題はあまりにも深刻なものになっていて、相互の文化に対する敬意だけで解決したり、棚上げしたりするのは難しい。それは日中韓だけの現象ではなく、中東欧など世界の各地に見られる葛藤だ。同じ価値観を共有する、相互の価値観の違いを認め合うといったことは、いよいよ困難になっている。それでも共通の利益を通して友好関係を実現することはできるだろうし、積極的な人的交流はその基盤となるに違いない。