仕事場を作る

 仕事の合間に家の片づけも進めている。今日は電線に引っかかりそうだった枝を切り、段ボールに入っていた服をタンスに移し、部屋の片隅に折り畳み式の机を置いて、仕事場を作った。

 家の中に自分の居場所ができたので、気持ちが落ち着く。せっせと仕事をしよう。部屋もせっせと片づけよう。

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真昼の星空

 『読売新聞』を熟読せよ、という首相の国会発言に続き、今度は前川・文部科学省事務次官を中傷する記事が出て、もう読売はソ連共産党機関紙『プラウダ』みたいなものになっちゃったんだなと、寂しく思う。
 稚内ではずっと読売を取っていたんだ。学のある人は朝日を読むべきだ、きちんとした本の広告は朝日にしか出ない、読売は大衆のためのものだ、と馬鹿にされながらもね。沼野先生が文芸時評を書いていて、米原万里さんが日曜版に連載をしていて、そういうことだから迷うことなく読売ですよ。
 でも、ここ数年の読売は、ほとんど読んでいなかった。インターネットのニュースで十分に思えた。私自身が疲れているせいだろうと思っていたのだが、もしかしたら、新聞自体に活気がなくなっていたのかもしれない。
 札幌に越してきてからは、『北海道新聞』を買っている。地域社会の息吹を感じるには、やはり道新だ。毎日、新聞を読むのが楽しみでならない。そういえば稚内で読売を読まなくなった後も、『日刊宗谷』はずっと読んでいたものな。
 米原さんの読売の連載のタイトルが「真昼の星空」だったことを思い出した。ベルゴリツの引用だ。

メイエルホリド殺し

 明日の1校時はエヴレイノフとメイエルホリドの話をするのだけれど、「そうだ、札大でそういう授業をするのであれば山口昌男さんに触れなくては」とはたと気づき、「メイエルホリド殺し」を読み直した。
 マンデリシタームが詩人ではなく散文作家になっていたり、メイエルホリドがやや英雄的すぎるんじゃないかと思ったりもする。同時代人がメイエルホリドを「独裁者」と非難したのは決して根拠のないことではなかっただろうし、社会から抹殺されることには惨めな側面もあるはずなのだ。
 とはいえ、「スケープゴート」という神話的な骨組みががっしりと作られていて、それがロシア・アヴァンギャルド芸術の動向についての実に詳しい記述で充満させられている、何とも迫力のあるテクストだ。こんな文章が活字になったということはやはり、ロシア・アヴァンギャルドに対する強い関心、その熱気が当時の日本で広く共有されていたのだろう。
 このテクストを収めた『歴史・祝祭・神話』が刊行されたのは1974年。水野忠夫マヤコフスキー・ノート』は1973年。小平武訳のリペッリーノ『マヤコフスキーとロシヤ・アヴァンギャルド演劇』は1971年。すでにこの世を去った人たちの先駆的な仕事を、若い人たちに語り継がなければ……それはまだ生きながらえている私たちの使命だろう。
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英検4級

 娘が英検4級のテストを受けに行っている間、ずっと本を読んでいた。
 日曜日に部屋の片付けも草むしりもトレーニングもしないで本を読んでいると、何か怠けているような気持ちになる。仕事なんだけどね。この世でもっとも大切な仕事はゴミ拾い、という町内会的価値観にさらされているせいだろう。困ったものだ。
 3時頃に本を1冊読み終えたので、妻の車のタイヤ交換をしてもらうため、オートバックスに行った。カーナビも取り付けた。自分の車は明日以降に持ち越し。

豊平川サイクリング

 娘のチーム練習がなぜかお休みだったので、今年初めての、そして札幌で初めてのサイクリングに出かけた。
 札幌は車が多いのだけれど、サイクリング道路も整備されているので、3月まで住んでいた稚内よりも安心かもしれない。今日は豊平川を北上した。予報は曇だったのに、途中から雨になってしまったけれど……そんなわけで初日から、汚れを拭き、オイルを差し、と自転車を手入れすることに。
 次は晴れるといいな。南下する滝野すずらん公園コースにも挑みたい。
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犬も歩けば棒に当たる

 せっせと仕事をしているのだが、仕事の話はなかなかブログに書けない。何を読んでいるかとか、誰と会ったとか。

 仕事をしていると徒労感を覚えることも多いのだけれど、とにかく動き続けるしかない。「犬も歩けば棒に当たる」というのは本来、余計な動きをすると叩かれるという意味のようなのだけれど、いわれなき敵意にさらされたとしても、動かなければ出口にはたどりつけない。

 部屋の片づけはなかなか進まないのだが、冬服はクリーニングに出した。週末はタイヤ交換だな。

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 4日と思っていた締切が14日だったので、少し余裕はできた。小雨の中、9日ぶりにジョギングをした。5kmを27分半。前半はキロ6分、後半はキロ5分。

本当に最後の運動会

 日曜日の娘の運動会は雨で、後半が水曜日に持ち越しになった。小6なので、これが本当に最後の運動会だ。

 日曜日の100m走ではスタートで出遅れ(雨で足が滑ったと言い訳していた)、3位から2位に上げるのが精一杯だった娘なのだが、ターサーを履いて臨んだ水曜日の選抜リレーでは2位から1位に順位を上げ、アンカーにバトンをつなぐという大活躍だった。アンカーの子はそのままの順位でテープを切ってくれた。

 ところで、こんな親馬鹿めいたことを恥ずかし気もなく書くのは、小1の運動会の時に娘が「走るのが苦手だ」と、何とも弱気な顔をしていたからである。

 幼稚園の時には体が弱く、運動会ではよく熱を出していた。テキパキ動けるタイプでもなかったから、ランニングの時には活発な同級生が手を引いてくれたりしていた。でも、幼稚園のうちは自分を客観的に見つめたりはしない。プリキュアを見ているだけで、運動能力に優れているかのような錯覚に陥ったりする。それが小学校に入って、リレーの選手に選ばれないという現実を突きつけられ、ああ、自分はダメな子なんだなと自覚したわけである。

 そんな状況が変わったのは小4からで、小4から小6までの3年間はずっとリレーの選手だった。小3の3月のスキー大会で全道6位になって、気持ちが前向きになったのだろう。これは強い子が次々とこけたという本当にまぐれの入賞だったのだが、今は神様の贈り物のように思える。翌月にはようやく逆上がりができるようになり、さらに自信をつけた。次に短距離走の練習に取り組み、何とかリレーの選手にしてもらえた。

 きちんとした走り方を練習すれば速く走れるようになるとか、人は変われるものだとか、この6年間、私は娘と共にいろいろなことを学んできた。最後の運動会で思い出されたのはそんな過去の時間、たとえば2年前にスタートダッシュを練習していた公園の草地の風景だった。

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