いまプロレタリア芸術が面白い
市立小樽文学館で「いまプロレタリア芸術が面白い」展が開催されていて、プロキノの映画の上映もあるというので、土曜の夕方に足を運んだ。展示の方には、札幌大の所蔵する資料がけっこうあった。俳優の松本克平氏のコレクションだという。
プロキノ映画の解説をされたのは、二松学舎大学の足立元氏。映画としての技術は疑問と評されていて、それはそうなのだが、1920年代末にはあまりにも素朴だった映像が、わずか4年後の「全線」ではヴェルトフを想起させるものに進化していて、その劇的な変化が面白かった(それでも細かいモンタージュやクローズアップは排除されているのだが)。
前任校の同僚も来場していて、偶然会うことになったのだが、それもうれしかった。
シェレメチェボの混乱、ようやく日本語で
6月初めから続いているシェレメチェボ空港の混乱が、ようやく日本語でも報道された。
大事な土産はスーツケースに入れない、いらない服だけを入れておく、事前に保険に入る、などの対策をしておけば、それほど恐れることもないわけだから、こういう報道はきちんとしてほしいし、旅行社にも周知しておいてほしい。問題が起きてから報道までひと月半かかるというのは、ちと遅すぎるような気がする。私は荷物も数日遅れで戻ったし、保険で服も買えたから良かったが、このひと月半の間に知らずにひどい目にあった人もたくさんいたのではないだろうか?
コルジェフの帰還
ヴェネツィアで開催中のコルジェフ展について、北海道新聞にコラムを掲載した(岩本和久「コルジェフの帰還」『北海道新聞』2019年7月12日夕刊、4面)。また同展覧会についてもう少し詳しい報告を昨日、日本ロシア文学会北海道支部会で行った。
「社会主義リアリズムの最後の巨匠」とも呼ばれるコルジェフだが、その絵が人の心をとらえるものであることは否めない。コルジェフ再評価の仕掛人であるトレチャコフ美術館のトレグロヴァ館長は、『コメルサント』紙のインタヴューでコルジェフとルシアン・フロイドを比較したり、公式芸術と非公式芸術の対立を批判したりしながら、コルジェフの絵の普遍的価値を確認しようとする。https://www.kommersant.ru/doc/4018943
だが、シュールレアリズムを経由して具象絵画にたどり着いたルシアン・フロイドと、権力の作り出した枠組みに準拠して創作を行なったコルジェフとの間にはやはり「ずれ」があるし、またソ連崩壊とそれに伴う社会混乱を嘆いたコルジェフの1990年代以降の作品群は、イデオロギー的なプロパガンダの要素が皆無とはいえない。それに、コルジェフは21世紀になっても創作を続けていたのであり、つまり、その批判の矛先は私たちに向けられているのである。そのような作品にどのような態度を取るかというのは、それほど簡単な選択ではない。
ブルックナー6番
昨日はPMFホストシティ・オーケストラ演奏会なるものを聞きに、キタラまで行った。つまりは、PMFのイヴェントとして開催される札響のコンサート。
指揮は世界最高のホルン奏者だというラデク・バボラークさんなのだが、曲目がドヴォルザークの序曲「謝肉祭」、モーツァルトの協奏交響曲K297b、ブルックナーの交響曲第6番……後の2曲が渋すぎる。特にブルックナーの6番って一体、と思ったら、札響は5年前(572回定期)にも演奏していたのか。
「謝肉祭」はやはりタンバリンに目が行く。担当の方は膝も使っていらした。モーツァルトは弦が厚みのある美しい音を出していたのが印象的。ブルックナーも最後まで緊張感の途切れない演奏で、金管も頑張っていた。
それにしてもブルックナーの6番は録音でも普段は聞かないので、通して聞いたのは、もう30年ぶりくらいではないだろうか?良いものが聞けた。
今回は2階席だったので、キタラのバルコニーに初めて出てみた。涼しくて良かった。