音威富士に寄り道

 休みに入ったのだが、明日は稚内スキー連盟の行事がある。
 前日の今日、札幌から道北に移動することにして、250キロ走った後、音威富士スキー場で滑った。稚内の浜ちゃんも電話で呼び出したら、来てくれた。
 稚内アルペンスポーツ少年団の小学生姉妹とそのお父さんにも、帰りがけに再会することができた。
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仕事納め

 明日から年末年始の休業日なので、今日が仕事納め。休みの間に必要な資料を、研究室から持ち帰った。

 英文の原稿も下書きを終えた。後はネイティヴチェックをしてもらうだけ。年内にもう1本、短い原稿を書き、それからようやく本を読めるようになる。

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 研究室の窓から見える藻岩山スキー場のナイター営業も始まったので、仕事の後、さっそく滑りに出かけた。平日の夜にはここに行くつもりだ。

 写真はクリスタルコースのスタートからの俯瞰。

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最後は「鏡」

 大学は冬休みになった。

 「先生にも冬休みはあるんですか」と1年生に聞かれて、当惑した。冬休みの間は授業はないのだが、仕事はある。12月29日~1月4日は年末年始の休暇期間なのだが、急ぎの原稿をまだ3本も抱えているので、やはり自宅で仕事をするだろう。

 最後の授業はタルコフスキー「鏡」を流した。ラストシーンについて詳しく話す時間はなかったので、年明けの授業の冒頭で説明しなくては。

冬休み直前

 年内の授業は月曜で最後。後期は授業も多く、朝まで準備に追われることもしばしばだったが、あちこちに迷惑をかけながらも、何とか完走できそうだ。

 急いで書かねばならない原稿が2本あるのだが、昼過ぎに少しだけオーンズで滑った。ダウンヒルクルーズコースもオープンしていて、今シーズン初の急斜面。

 

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黄金の手

 今年の秋はチェーホフサハリン島』関係の行事が続いたのだが、その中で知ったソフィヤ・ブリュフシテインについてコラムを書いた。

 岩本和久「黄金の手」『北海道新聞』2017年12月20日夕刊、4面。

 19世紀の女詐欺師で、シベリア送りにされても2度も3度も脱走するものだから、最後にはサハリンへ島流しになったという人。サハリンを訪問したチェーホフも彼女に会っていて、そのことを『サハリン島』の中に記している。

 彼女を主人公にした「ソーニカ 黄金の手」というテレビ・ドラマが2007年に作られていて、2010年には続編も放映されたのだそうで、そのせいか彼女に関心を寄せるロシアの人は多いようだ。チェーホフ関連で訪れた博物館や講演会では、その名前を何度も耳にしたのだった。

藤井一行とソ連研究

 『アリーナ』20号で、「藤井一行とソ連研究」という小特集が組まれている(323-497頁)。これまで公には伝えられていなかった藤井一行先生のご逝去の知らせと共に、ご遺稿が掲載されている。

 藤井先生は札幌大学の開学時の教員だったという。1997年に一度だけ、富山大学でお目にかかったことがある。日本ロシア文学会の翌日にインターネットについての談話会のようなものを開催されていて、それに私も顔を出してみたのだ。

 当時は民主的なメディアと期待されたインターネットだったが、情報の流通の規模とスピードを変革したものの、暴力をも拡散・増幅してしまったのは間違いないだろう。

 ともあれ、ご遺稿の掲載された号に自分の論文を書けたというのも、何かのご縁かもしれない。この号は大切にしよう。

34回目のヨールカ祭

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 札幌大学で34回目のヨールカ祭が開催された。

 私にとっては2度目のヨールカ祭。前回は1999年のことで、当時、勤務していた稚内の短大生2名を連れて参加したのだった。サハリン大留学から日本に戻ったばかりの学生たちで、1名は短大卒業後、札幌大のロシア語学科に編入した。

 当時、稚内市役所に勤めていた札大の卒業生も、今日は顔を見せていた。久しぶりの再会となった。