シャガールの時空間

 東京ステーションギャラリーで開催中の「シャガール 3次元の世界」展についてのコラムを、『北海道新聞』に掲載した。

 岩本和久「シャガールの時空間」『北海道新聞』2017年11月29日夕刊、4面。

 シャガールの彫刻を見ると、彼の絵画の運動性や流動性がいっそう伝わってくる、という内容。

岡林茱萸『ロシアの詩を読む』

 岡林茱萸『ロシアの詩を読む』(未知谷)の書評を書いた。

 岩本和久「詩の言葉と著者との対話―20世紀ロシアを生きた15人の詩人の詩の翻訳と解説」『図書新聞』3329号、2017年12月2日、5面。

 最近、私が書評を頼まれる本は書きづらいものが多いのだが、この本もそうだった。期待して読み始めて、冒頭のフレーブニコフ論などはそれなりに面白かったのだけれども、読んでいるうちに何の本なのか分からなくなった。誰に向けて、何の主題が語られているのか、まったく分からなくなったのである。

 それでも手探りで読む進めるうちに、著者の文学観と論じられているテクストのぶつかり合うさまが見えてきた。ああ、これは著者が読者に詩作品を紹介しているようでいながら、実は著者と詩が対話しているのだ、と思ったら、書かれている内容がすとんと理解できた。

 書評に書いたのも、そんな話である。

雨上がりのオーンズ

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 原稿を書かなければならないのだけれども、午後、1時間だけオーンズで滑ってきた。週末は北海道スキー連盟の研修会だから足慣らしもしておかなければならないし、一日中、座っているのも健康に悪い。

 札幌国際もテイネもキロロもオープンしているので、オーンズは程よく空いていた。外傾や股関節の動きを気にしながら、他のスキーヤーやボーダーと同じスピードでゆっくりと小回り。

冬の雨

 数日前には大雪が降っていたのだが、今日は雨だった。

 雨の中、月末締め切りの原稿を執筆していたのだが、筆が重い。なかなか進まない。まだ10分の1くらいしか書けていない。このペースだと締め切りには絶対に間に合わないので気持ちが焦るのだが、もう少ししたらエンジンが暖まるはずだ。きっと間に合うだろう。いや、間に合わないと困る。

 授業があるのは週4日なので、週の半分は自由に使えるはずなのだが、実際には授業の準備があるので、原稿執筆や研究に宛てるのが週2日になってしまっている。締め切りが近づいてしまったのは、そのせいだ。ただ、これは朝4時に起きるなど生活リズムを変えれば解消できるはずなので、ともかく頑張ろう。

 まあ、原稿を書き終えたところで、急いで書かねばならない次の原稿(しかも英文)と海外出張があるので、もう息つく暇がないのだが。

昼休み

 月曜日と火曜日は授業が多いので、前日の日曜日からの3日間は息をつく間がない。

 昨日から今日にかけては、映画の授業で『東京物語』と『雨月物語』と『七人の侍』の話をし、ロシア語専攻の授業でトルスタヤの『金色の玄関に』、それからフェートの "Чудная картина"と"Я пришел к тебе с приветом"と"Шепот, робкое дыханье"を読んだ。めまいのするような時間だが、しかし、ずっと忘れずにいられるだろう。

 フェートの詩を読み直して授業に向かう前に、学生食堂で昼食を取った。窓の外は雪景色。

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神と革命

 下斗米伸夫『神と革命』(筑摩選書)の書評を共同通信社のために書いたのだが、まずは『北日本新聞』に掲載されたらしい。

https://webun.jp/item/7416143

 いろいろと問題はある本で、たとえば、「キプチャク汗国」のことが「チンギス汗国」と表記されていたりするのは高校生でも困惑するはずなのだが、校正段階で何とかならなかったのかと思う。

 ブローク「12」のイエス・キリストの表記は古儀式派を思わせるという指摘も、そういう議論は確かにあるようなのだが、しかし、詩のリズムに母音の数を合わせるための処理にすぎないという解釈も存在している。

 そういった細かいミスは歴史研究者であればもっと無数に見出せるのだろうが、本質的な問題は「ロシア革命は古儀式派の文化の復活」という大きな枠組みを提示することに叙述の大半が割かれている一方で、政治家、労働者、実業家、芸術家それぞれの動きについて実証的な分析がなされていないことだろう。「誰それの出身地には古儀式派が多かった」といった出自探しが論証の大半を占めているのだ。それについては書評の中でも、やんわりとした形ではあるが指摘しておいた。