否定しない人
北の町からまた訃報が届いた。前任校で一緒に働いていた古川碧先生が、お亡くなりになったという。
古川先生は大学に隣接する中学校の校長先生をされていて、退職後に大学で後進を育てることとなった。大学の任期を終えた後も、学生相談やそのシステムの整備にご尽力されていた。
それなりの立場まで昇進してから大学で働くことになった方の場合、それまでの仕事の価値観から大学の文化を批判することが多いのだけれど、古川先生は研究者の文化を尊重してくれた。いつも周囲から一歩ひいているように見えたので、本当のところはどうお考えになっていたのかわからない。私のこともロシア文学なんかやっているからには共産党のシンパに違いないと勘違いしていらしたようにも見えるのだけれど、それでも私の研究活動を尊重してくれているのは理解できた。自分の趣味や価値観や生き方を絶対視して、それを強いるようなところはまったくなかった。「文学なんてわからない」とか「研究なんかしなくていい」とか言われてしまう田舎町では、何ともうれしく思えた。
そんな人はどこにでもいそうなのだが、実はほとんどいない。だから、とても残念に思う。
ウォークマン
娘が誕生日プレゼントにウォークマンをおくれ、と言うのである。合宿の往復の車内でウォークマンを使っている子が多いらしい。
もう21世紀なのに何でウォークマンなんだよ、と思ったのだが、とりあえず調べてみた。
まず、タブレットやスマホを子供に持たせるのは、スポーツの指導者や学校の先生にはあまり歓迎されないんだね。ミーティング中にスマホをいじって叱られるとか、チームメイトのスマホを使って長電話するとか、トラブルの原因になりやすいらしい。勉強そっちのけでゲームやラインや動画に熱中するなんてことは、大学生でもやりそうだ。
まあ、「これからは情報社会ですよ!!」と力説して、そういう流れに抗ってもいいのかもしれないのだけれど、スマホやタブレットは値段が高い。なくしたり、壊したりされたら洒落にならない。
値段の点ではアイポッドという選択肢もあるのだけれど、ウォークマンの良いところはパソコンを使わなくても、CDプレイヤーから直接録音ができるのだ!! マルチメディアの真逆というか、レコードをカセットテープにダビングするという行為を彷彿とさせるものなのだが、それが日本の子供の古めかしい生活には合っているのである。
ウェブで調べてみると、10年くらい前からソニーは、ウォークマンのターゲットを中高生に合わせているらしい。レンタルCD屋も健在だしさ。何だかレトロフューチャーって感じで、面白いよね。
もうひとつの穴も
2匹のクマバチが我が家の庭先に巣を作っていたのだが、1匹はお盆の間に巣穴を埋めてしまっていた。
もう1匹も土曜日に入口を埋めてしまったようだ。
冬眠にはまだ早いと思うので、秋の雨が心配なのかな?
個人文庫をもつ大学 その意義と可能性
「個人文庫をもつ大学 その意義と可能性」という公開講座が10月に札大で開催されるそうである。
面白そうだ。聴講したいなあ……でも、勤務時間内に、公開講座を受けているのは変だよなあ。ノンビリ座ってないで働けよ、って立場だよなあ。
前任校はいろいろなイヴェントの人集めに苦労していたので、こういう時はサクラになって会場を埋めることを求められ、それはそれで楽しくないものだったのではあるが……いや、前任校に限らず、田舎町のイヴェントは講演会でもお祭りでも、「動員」が付き物だった。それぞれの職場から動員されるわけだから、土日や夜間よりも平日の昼間の方が歓迎されたりもした。
個人文庫ということでは、前任校にあったロシア文学者(故人)の蔵書のことが、いささか心配でもある。
大空と大地の中で
新千歳発の飛行機の離陸が1時間遅れた時、機内にいた松山千春が「大空と大地の中で」を歌って、乗客を和ませたという話が報じられていた。厳寒の中、広大無辺の地と自分の腕だけで格闘しようという歌だからね。モデルは足寄の酪農家の佐藤耕一さん。離陸の遅れるストレスなどとは、次元が違うものね。ちょっと泣ける。
『足寄より』を読んだのは、三浦半島の海辺の中学校だったかな?それから40年くらい経って、今は松山千春の家から10キロくらいのところに住んでいるんだよな。何だか信じられないな。
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広大無辺といえば、稚内近郊の原野の中にアトリエを作って、絵を描いていた高橋英生さんがお亡くなりになったそうだ。札幌で活躍されていた方なのだけれど、70歳になってから故郷の稚内に戻ったのだという。
ロシア人の留学生を連れてアトリエにお邪魔したのは、3年前のことだ。立ち去る時、窓から小さく覗いていたご夫婦の顔が今でも忘れられない。下のブログのロシア語の方は、その時に課題として留学生に作らせたもの。