30年たっても終わらない歌

 昨日は科研費の使用についての説明会があったのだけれど、想像していたのとはまったく違う人たちを見ることができ、何というか、忘れられない時間になった。適切な言葉が見つからないのだけれど、「優雅」というのが自分としては一番しっくり来る形容かな?

 まあ、私も東大と稚内北星学園大という、極端な学校しか知らないからなあ。世の中にはいろいろな場所があるのだな。

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 死のうとしたことのない人も多いんだろうな、と帰宅してから、ふと思った。で、「うまくいかない時 死にたい時もある」とか「一人ボッチで泣いた夜」とか歌ったブルーハーツのことを思い出した。そういえば、ブルーハーツがアルバム出してから30年になるんじゃないかなと思ったら、やはりそうだった。

 前任校はかつては「市のお荷物」とか言われていて(今はそんなことはない)、けっこう辛い思いをしたこともあったのだけれど、「世界の真ん中」や「終わらない歌」があったから乗り切れたんだよな。

 うん、「全てのクズ共のために」。

8時間労働制

 もう20年以上、教壇に立っているわけだが、その中でも学生から想定外の反応が出てきた授業は、思い出に残るものとなっている。授業改善についての新聞記事を読むよりは、学生の反応を見ている方がずっと勉強になる。

 今日の授業も、そんな忘れられない授業になった。

 知識偏重ではダメだ、考える教育が大切だ、と言われる。そうは言っても、鎌倉幕府は頼朝が開きましたとか、レーニンがロシア革命を起こしました、といった前提となる知識がなければ考えることもできないわけで、私が担当するような外国文化の授業はまず知識の伝達から始まることになるのだけれど、今日は学期末なので「考える」ことに取り組んでみた。

 「ロシア革命はなぜ起こったのか」、「アヴァンギャルド芸術に代わって、社会主義リアリズムが出現したのはなぜか」という問題を、学生たちに考えてもらった。

 教室で発言を引き出すためのいくつかの方法も新たに知ることができたのだが、昨今の世の中では、学生たちの反応を具体的に書くことはははばかられる。一般的な発見だけを書くことにするが、現代社会の支配的なイデオロギーや不安は、ロシア革命のような外国の過去の出来事を理解する際にも影響するということに、改めて気づくことができた。

 たとえば、現代の日本の若者にとって失業と過労死のどちらが不安かと言えば、おそらくは失業なのである。就職活動という試練に挑んでいる学生の場合は、特にそうだろう。同様に、努力や競争という営みも、学生には身近なものとなっている。だから、社会主義体制という言葉から連想されるのは、「失業のない社会」、「競争のない社会」ということになる。もしかすると、学生ではなく日本人の大半がそう思っているのかもしれないし、ソ連解体などを考える際には、こういう理解も的外れとは言えない。

 だが、革命の起こった時期のロシアは第一次世界大戦中であり、人不足だったのだ。そして、労働者が要求したのは、8時間労働制だった。彼らは「働きたい」と思ったわけではなく、「働きたくない」と思って革命を起こしたのである。

 「競争」にしても、帝政ロシアの農民と貴族の間には、努力では乗り越えられない溝があったわけで、革命によって「競争」が失われたと簡単に言うことはできないだろう。

 歴史的事実とそれについての理解の「ずれ」を修正するにはとても大事なことだが、それにはまず教師と学生の「ずれ」を埋めなければならない。教師が学生のことを理解しなければならない。そのことを改めて実感できた日だった。

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 ところで私自身も、8時間労働制の意義や歴史を学校の授業できちんと教えてもらった記憶はない。学生時代に八王子のセミナーハウスで社会主義体制解体についてのセミナーか何かがあった時、直野先生の班で別の大学の共産主義者の学生と一緒になったのだが、自由のない社会主義体制はロクなものではないと唱える私に対し、彼が「ロシア革命がなければ8時間労働制もなかったんだ」と力説するので、それで心に刻みこまれたのである。

 あれも忘れられない思い出になった。彼は今、どこで何をしているのだろう?

ミール

 苫小牧市美術博物館の後、同市の科学センターに行った。ここにはソ連の宇宙ステーション「ミール」がある。宇宙空間で使用されたものではなく予備機だが、レプリカではない。本物だ。

 誇らしげに塗装されたソ連の国旗。

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 モジュールを接続する部分は、宮崎駿のアニメに出てきそうだ。

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 上から見ても存在感は圧倒的。

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 レトロなSF映画のような居室。

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 やはり古いSF映画に出てきそうな操作盤。

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 帰り道にフェリーターミナルに寄ってみた。大洗行きの「さんふらわあ ふらの」の係留されている岸壁に、八戸からの「シルバープリンセス」がちょうど接岸するところだった。

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クロスオーバー

 苫小牧市美術博物館に「クロスオーバー」展を見に行く。胆振日高の現代作家を紹介した展覧会。

 苫小牧市美術博物館というのは、自然や歴史の博物館の建物の一部をアートの展示スペースにしたものだった。

 

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 生物と非生物、固体と液体の境界を漂うような千代明の作品群に始まり、北海道のありきたりな風景の美しさがリズミカルな運動の中で際立つ佐竹真紀の映像作品「Pivot」、苫小牧の古い記録映像に音楽を重ねた中坪淳彦「都市の記憶」、ナイーヴなイメージと未来的な、あるいは宇宙的な風景が交錯した加藤宏貴の絵画、そして松井紫朗「手に取る宇宙」と、個性のはっきりした印象的な作家が並んでいた。

 中庭の松井紫朗「channel」だけは、写真を撮ることができた。パイプを通して「アチラ」の音を聞くというもの。

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 美術博物館は公園の中にあり、同じ公園の中には図書館もあるのだが、面白いことにこの図書館には植物園が併設されている。植物園は2階建てで、2階が回廊になっている。

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 植物園の1階にはカフェがあり、名前は何と「サマルカンド」……といっても、ウズベク料理が出てくるわけではない。

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 王子製紙の工場煙突は苫小牧の象徴とも言えるものだが、この煙突を背景とした市内の風景写真を次々と並べることで、風景が煙突を軸に回転していくように見えるという「Pivot」が面白かったので、帰り道に王子製紙の工場に寄ってみた。

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PMFウィーン

 昨日の夜はキタラまで、PMFウィーンのコンサートを聴きに行った。ウィーンフィルを引退した奏者と現役メンバーによる室内楽

 前売り券は早々に売り切れていたのだが、私学共済の割引券を応募したところ、家族全員分が抽選に当たった。まあ、結局、当日券も売り出されていたんだけどね。

 曲は前半がハイドン弦楽四重奏曲「ラルゴ」、モーツァルトの「アイネ・クライネ……」、ロッシーニのチェロとコントラバスのための二重奏曲で、後半がドヴォルザーク弦楽四重奏曲14番。渋いけれども聞きやすい選曲なので、家族連れでも安心(笑)。

 音はさすがに良い。リズムがちょっと独特で、ハイドンの終楽章は単調だし、モーツァルトはキビキビしすぎた感じだし。で、演奏を終えたキュッヒルさんは「ま、こんなもんですよ」という感じの淡々とした顔をしている。悪くないけれども、ちょっと物足りない。

 しかし、さすがに後半のドヴォルザークは一段上の緊張感の高い演奏で、ラストは室内楽とは思えぬほど壮大に歌い上げて終わった。チェコの教会の尖塔が幻視できたよ(嘘)。

 その後、アンコールで「春の声」とポルカ「観光列車」が演奏されたのだけれど、これはもう、ウィーンフィルの皆さんの曲なので音色もリズムも完璧で、世界一とか本物だとか贅沢だとか言いたくなるほどなのでした。

ケーニヒスベルクの眼鏡

 ウディ・アレンの記念碑がカリーニングラードの映画館にあるそうなのだが、それはアレンの本来の姓がケーニヒスベルクで、カリーニングラードソ連領になる前はケーニヒスベルクと呼ばれていたからだ。

 そんな理由でアレン公認の記念碑を建ててしまうまでを描いた短編映画が「アレン以前のウディ」で、これについて道新にコラムを書いた。

 岩本和久「ケーニヒスベルクの眼鏡」『北海道新聞』2017年7月14日夕刊、5面。

 この映画を監督したのはカリーニングラード出身のマーシャ・ヴァシュコヴァなのだが、映画の全編を彼女のサイトで見ることができる。

 Woody Before Allen — Masha Vasyukova

GET BACK IN LOVE

 もうすぐ前期の授業も終わり、夏休みである。そんな時期に3~4年生の授業の準備をしていたら、自分が大学3年の時、一緒に授業を受けていた連中と「合宿」をしたことをふと思い出した。

 栗原成郎先生の授業を受けていた学生5人で駒場の同窓会館で泊まり、ポゴレーリスキーか何かを読んだのだ。そして、夜は勢いで、横浜までドライブしたんじゃなかったかな?

 あの時の人たちと会うことはもうないのだが、ほとんどが東京で大学や予備校の教師になっている。一番有名になったのは黒田龍之助氏だろう。私は東京を離れて北海道に来た。車を運転してくれた奴は交通事故で早死にしてしまった。

 思い出したのはそんなことだけではなく、東京の夏の暑さだったりもするのだけれど、ここ数日は札幌も何とも暑い。その暑い中の授業で学生たちに、「だから君たちも夏休みに泊りがけで、自主的に勉強したっていいんだよ」と話したら、「僕たちはそんなに熱くないので」とやんわり拒絶されてしまった。一生の思い出になるかもしれないのに(笑)。

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 なお、「GET BACK IN LOVE」は上記の合宿をした年の、山下達郎のヒット曲である。あの夏に流れていたであろう音楽では一番の名曲だと思うのだが、当時の私が一番口ずさんでいたのはたぶんWinkの「シュガーベイビーラブ」で、これは南野陽子工藤静香のドラマの主題歌だった(笑)。栗原先生は当時、54歳だったはずで、私もその年齢に近づきつつある。