残念な結末
貴乃花の退職といい、『新潮45』の休刊といい、残念だ。それぞれの世界の頂点に立つ組織だというのに、どうしてこういうことになってしまうのか。
貴乃花は年寄に降格させたのだから、それ以上、追い詰めなくても良かっただろう。『新潮45』も『正論』の真似をする必要はなかったし、LGBTを罵倒するにしても「生産性がない」でやめておけば、休刊にはならなかっただろう。
「生産性がない」という発言も問題だし、だからこそそれなりの騒ぎになったわけだが、LGBTと痴漢(つまり犯罪)を同一視するのに比べたら、ショックが少ない。ソ連では同性愛が犯罪だった。今でもイスラム圏には、同性愛が死刑になる国があるという。新潮の雑誌部門には、こういうたとえの危うさに気づかない鈍感な編集者が多いのだろうか?
あるいは、最近目立つスポーツ界のスキャンダル同様(大相撲もスポーツだな)、古い時代の約束事が今も通用すると過信したということだろうか?
今回の事件のせいで、自分の人生の中に新潮社の占める大きさを再確認することにもなった。川端康成、三島由紀夫、安部公房、大江健三郎、村上春樹、リルケ、カフカ、カミュ、ドストエフスキー全集、ソルジェニーツィン……私たちの世代は、新潮社によって育てられたと言っても過言ではない。
だが、今の若い人にとっては、新潮文庫よりも光文社古典新訳文庫の方が身近かもしれない。それに加えて、今回の事件だ。何かが終わったような悲しさが残る。