チェーホフ 七分の絶望と三分の希望

 JSSEESの38号に、沼野充義先生の『チェーホフ 七分の絶望と三分の希望』の書評を掲載している。

 Kazuhisa Iwamoto, "Mitsuyoshi Numano, Chekhov - Seventy Percent Despair and Thirty Percent Hope (Tokyo, Kodansha, 2016)", Japanese Slavic and East European Studies, Vol.38, 2017, pp.93-95.

 ただ、依頼されてから3か月くらいで急いで書いたという事情もあるが、あまり良い文章にできなかった。本の構成や論理に従いすぎた。恩師の著書なので、律儀になりすぎてしまった。

 入稿してから半年が過ぎた今、思うのは、チェーホフの同時代の社会に焦点を当て、チェーホフとその作品を歴史的な視野で再解釈しているかのように振舞う本書だが、そのような振舞いとは逆に、歴史的文脈から超然とした形で作家自身と作品のユニークな性格を顕在化させているのではないか、ということだ。

 チェーホフは洒落者であり、同時にリアリストだった。その作品の登場人物たちもまた残酷な社会に暮らしながら、飄々としている。本書の中では、死を前にしたチェーホフに運ばれたシャンペンが強心剤だったのではないか、という考えが述べられているが、これも粋と残酷な現実の間の深淵に向けられたものだろう。書評の中ではそうした考えの一端も示してはいるのだが、やはり生真面目に構えすぎてしまい、チェーホフや沼野先生からはほど遠い、無粋な文章になってしまったのが悔やまれる