チンギスハン空港のロシア戦

 ウランバートルの東アジア・コンファレンス2日目。岡山大の本田晃子さんが組織した、1920~30年代ソ連の建築やデザインについてのパネルの司会を担当した。日程の最後の時間帯で、隣の教室では東大の大物教授のパネルが開催中という、若手の報告者にとっては不利な条件だったのだけれど、日本人以外の聴衆もそれなりに集まったし、フロアからの予想外の質問も出たし、それなりに成功だったのではないだろうか。

 2009年に始まったこのコンファレンスも9回を数えたわけだが、その間に私よりも若い世代の研究者が力を付けてきたし、コンファレンス自体も発展してきたし(今回は大臣の挨拶もあったくらいだ)、時の流れを感じる。私自身は9回のうち4回しか参加していないので(夏に開催される場合が多いので、学生の引率でサハリンに行ったりすることが多かった)、せっかくの機会だというのに中国や韓国の研究者とのネットワークを作ることがうまくできずにいるのだが、常連の人たちはそういう部分もうまくやっている。

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 翌月曜日はエクスカーションの日だったのだが、授業を何日も休講にするわけにはいかないので、懇親会を中座してタクシーで空港に向かった。チンギスハン空港の登場ロビーではモンゴル人たちが、サッカーワールドカップのロシア―スペイン戦を熱心に観戦していた。

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