ブラリンゴ

 北海道新聞永田販売所の実施している「ブラリンゴ」に参加してきた。南平岸の街歩き。

 永田販売所は「道新りんご新聞」というミニコミ紙を出していて、紹介されたスポットもひとつひとつは、すでに紙上で読んだことのあるものが多かったのだが、テクテク歩くことで、それらを結びつけた展望をつかむことができた。

 平岸というと平岸駅のあたりかと思ってしまうのだが、もともとは南平岸駅のあたりが中心だったらしく、小学校や最初の商店である木村商店(清水商店)があり、月寒と平岸を結ぶ「アンパン道路」も1911年にこの地区に作られている。

 かつては地下鉄南北線に沿って小泉川という川が流れていたそうで、その川の西側の低地がリンゴ畑、東側の高台が田だったそうだ。私が今、住んでいるのは高台側で、私の家の建っている土地もかつては田んぼだったらしい。

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 南平岸がロシアと関係の深い場所だったというのも、知ることができて良かった。第一次大戦中や革命後の内戦期にリンゴをロシアに輸出することで平岸は繁栄したのだそうで、平岸の作家である澤田誠一が『商館』という小説にそのことを書いているのだという……読まなくては!!

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 また、作家の家の近くにはかつて、日ソ友好会館があったのだそうだ。そんなことを知っていて、兵頭ニーナさんも「ペチカ」を南平岸にオープンしたのだろうか?

 明治期の平岸の写真に写る、木々の高さも圧倒的だった。もっと以前には天神山にアイヌのチャシがあったのだという。

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 精進川の滝も、写真で見るよりずっと風情のあるものだった。平岸は川向うの札幌の中心部とは一味違う、面白い地区だ。ロシアと関わりがあったというのも、何かの縁だろう。広い札幌の中でも、ここに住むことを選んで正解だったなと改めて思う。

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