天気の子

 金曜日は『天気の子』を見た。

 今さらだが、新海誠は空間構成がきっちりしているので、安心して見ることができる。指輪を使ってヒロインのよるべなさを表現するとか、心の穴を埋めようとするヒーローに線路上をランニングさせるとか、印象的なシーンの作り方もうまい。

 男の子を主体とする神話が反復され続けるのもどうかとは思うのだが、オルフェウスみたいな話をたくさんの若い人たちが見るというのは、決して悪いことではないはずだ。

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 ところで、この映画は「後先を考えない」話でもある。指輪を買った16歳の帆高は初め、陽菜に告白しようとしてものすごく緊張するのだが、日本の男の子の初恋というのがそういう緊張を伴うのは、失恋を恐れるからに他ならない。

 だが、映画の後半、陽菜を失った帆高は、自らの死を恐れずに空に昇ることができるようになるし、恩人である須賀に対して銃を向けられるようにもなる。

 一方、帆高に帰郷を勧める編集者、須賀は「失敗を恐れる大人」だ。就職活動で失敗を続ける夏美(須賀の姪)も、心のどこかで失敗を恐れているのだろう。だが、須賀も夏美も最終的には、帆高の反社会的な暴走を支えるようになる。

 『天気の子』は純愛の物語なのだが、一方で「失敗を恐れる」大人たちを「後先を考えない」暴走に誘ってもいる。後先を考えない自由な世界、死を恐れぬ世界をもう一度、夢想しても良いのだろう。本当に大人になるというのは、そういうことなのかもしれない。

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