生気 知性 信頼
昨日は今年から始まった導入授業の「専攻入門」の最終回の講義を担当したのだが、各専攻の教育の前提となる「建学の精神」や「教育目標」、「ディプロマ・ポリシー」についても説明した。高校までの教育と大学との間の溝をつなぐというのが導入教育の役割だが、それぞれの大学の目的やゴールを知らずに大学生活にのぞむと、「何でこんな科目が設置されているのか」「何でこんな活動を強いられるのか」という戸惑いを覚えることになるかもしれない。
「生気、知性、信頼」という教育目標は大学の入り口に掲げられているのだが、こちらから話を向けてあげないと、きちんと読む気にもなかなかならないだろうと思う。
ところで、建学の精神でも「生気」を強調しているというのが札幌大学の特徴なのだが、1960年代後半の日本でそういう言葉に注意が向けられたというのはどういう思想的文脈なのだろう?マスコミなどの用例をざざっと見ると、戦後の荒廃した日本に「生気を取り戻す」という例が目につく。1964年に東京オリンピックが開催されたことも、関係しているのだろう。
夕方、論文の資料を求めて札幌市中央図書館に行ったら、ハマナスが実をつけていた。