マチルダ

 合宿に行く子供を集合場所の真駒内公園に送ってから、西岡病院でインフルエンザの予防接種をし、それからシアターキノにウチーチェリ監督の『マチルダ』を見に行った。

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 年末の狸小路は観光客で賑わっていたが、映画館は閑散としていた。少し残念。

 「スキャンダラスな映画ではなく普通の映画だ」とか、「つまらないから見ない方がいい」とか、いろいろ聞いていた『マチルダ』だが、カメラワークのしっかりした立派な映画だった。写真文化や映画史への言及もたくさんあったし、きらびやかな人々の上をカメラがゆっくりと流れる戴冠式の光景は、華麗すぎるものだった。

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 妄想が暴走している感もあり、むしろ、映画が進むにつれ、偏執狂的な世界に引き込まれてしまうのだが、芸術というのは私たちの予想や期待を(あるいは作者自身の意図さえも)超えたところで生まれ、そういう超越的な場所に私たちを引きずり込むものであったはずだ。「わけがわからない」、「とにかくすごい」、だから芸術なんだ、と、私たちはかつて語っていたのではなかったか?

 ズヴャギンツェフにしても、シャフナザーロフにしても、ハベンスキーにしても、何をやりたかったのかは予想の範囲に収まっているのだが、ウチーチェリはそうではない。非凡な監督だと改めて思った。