AM神戸69時間震災報道の記録

 表象文化論学会があったので、土曜日は神戸大学に行った。

 この日は豪雨だったようなのだが、昼に到着した時にはもう小雨だった。

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 「ファッション批評は可能か」というシンポジウムがあり、消費がなされている「今・ここ」を見るべきなのか、忘却に抗わねばならないほど古くなってしまった作品をアーカイヴ化した上で研究対象とすべきなのか、研究の在り方についての問いかけがなされていて、普段から漠然と気になっていた問題ではあったのだが、頭の整理になった。

 シンポジウムの後は、1995年の兵庫県南部地震の時のラジオ放送を素材にしたパフォーマンス(リーディング)「RADIO―AM神戸69時間震災報道の記録」があった。神戸の町を見下ろしながらの上演は心に迫った、とまとめたいところなのだが、実際はこの日、岡山や広島では水害による多数の死者が出ており、神戸市内でもあちこちで避難指示が出されていて、落ち着いて過去の死者を追悼できる状況ではない。前日の金曜日にはオウム真理教の7人に対して死刑が執行されていて、そういうニュースにも心がざわつく。そんなバタバタした気分に風穴を開けるように発せられた、ラジオ放送を語り直す声と神戸の港の風景は、そこに居合わせた者たちの記憶に強く刻まれたことだろう。

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