新海誠展

 札幌・芸術の森美術館で開催中の「新海誠」展に行ってきた。

 特に新海誠のファンというわけではなく、勉強が目的なのだが、写真を加工するのではなく、パーツに分解してレイヤーを重ねていく背景の制作方法や、フォトショップのブラシなどは面白かった。

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 新海誠の作品に感じていた違和感も、自分なりには整理できた。

 彼の作品がナイーヴすぎる感性にもとづいているのは誰もが気付くことなのだけれど、今回の展覧会でまっすぐに空を見上げる「コスモナウト」の少年少女の顔を見ていたら、ソ連の「労働者とコルホーズの女性」像は、ソローキン『氷三部作』を思い出してしまった。

 それがなぜなのか考えたのだが、それらに共通する神話的な男女の姿が、純粋すぎるために邪にさえ思えてしまうのだ。また、塔や階段や上下の視点移動といった垂直性が新海誠の作品で好まれていることも、理由のひとつだろう。ゲーム「イースII」の新海が作ったというオープニング映像も展示されていたが、垂直性への志向、現代化された崇高美はそこに典型的かつ決定的な形で現れている。

 モラトリアムな若者の心理が全体主義芸術的な崇高さに接続されているのだと思ったら、頭の中がとてもすっきりした。新海誠の作品がイデオロギー的と言いたいわけではなく、身近な「ここ」と崇高な「そこ」の断絶を一気に跳躍する事態を前に、柔軟さを欠いた私の感覚が戸惑っていたのだろうという程度の話である。