希望のかなた
かつて『真夜中の虹』で都会に流れ着いた失業者を描いていたカウリスマキだが、今回の映画はアレッポからフィンランドに流れ着いたシリア難民だ。『真夜中の虹』と同様、収監され、脱走する。
難民が社会に受け入れられるには笑っていなければならない(ただし、笑いすぎると頭がおかしいと思われる)、という切ないセリフがあったのだが、この映画を見た観客が外国人排斥はいけないという気持ちになるのだとすれば、それは映画に登場する難民やホームレスたちがやはり、怒っているのではなく、笑っているからなのだろう。
笑顔を見せる者は社会の脅威にならない。脱走した主人公がレストランで働けるようになったのも、レストランの主人と喧嘩したものの、体格差からまったく相手にならなかったからだ。
そんなことで果たしていいのだろうか、という気持ちもするのだが、かつて住んでいた港町で「ロシア人を入店させない」といった民族差別が横行していたのも「ロシア人は怖い」という理由だったわけで、であるならば「怖くない」ことを伝えるのはまず最初に必要なことなのだろう。