根を下ろすトルストイ

 学期末も近づいていて、トルストイ「セルギイ神父」の講読の授業も今日でおしまい。

 トルストイの回りくどい文章は学生の実力からすると難しすぎた、というのが反省点だが、やはりこのくらいの強度のある小説でないと学生の心を打つことは難しいだろう。履修者の反応はさまざまだったが、いずれにしてもこの小説が彼らの想定していた水準を凌駕していたことは間違いない。

 「神の道」を問うこの小説が現代日本でアクチュアリティを持つのか、という問題提起をした学生もいて、いやいや、グローバリズム化の中でむしろトルストイは輝きを増しているのではないか、という議論にもなったので、本当に良かった。

 そんな議論の中で改めて思ったのだが、清貧や非暴力といったトルストイの考えはキリスト教だけでなく仏教にも通じるところがあって、もう私たちの文化の基礎に組み込まれているように思う。トルストイを読まない人でも、その心の中には初めからトルストイが住んでいるのだ。