顔のない人形

 画家マレーヴィチはのっぺらぼうの人物像を残しているのだが、ダンツケルという人が、これはウクライナ民衆の人形にもとづくものではないかという指摘を行っているのだそうだ(Avantgarde & Ukraine, Munchen, 1993. S.23)。大石雅彦『マレーヴィチ考』で紹介されている(人文書院、2003年、404-405頁)。

 顔のない人形というのはロシアの民衆文化にもあって、魔除けの意味を持つのだという。

 ところで、稚内でロシアとの国際交流活動をせねばならなかった私は、この顔のない人形作りの講習会の通訳を何度もすることになり、一度は通訳をしながら自分も人形を作らねばならないという、ややこしい状況に立たされたりもした。

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 デスクワークが主体の研究者からすると遠回りのような時間だったのだが、そうやってモノを作ることで世界が違って見えてくることもある。本を読んだり、論文を書いたり、人の報告を聞いたりするだけが「研究」でもあるまい。

 大学院の頃も映画を見たり、プロ野球観戦をしたりと余計なことばかりしていて、後になってから大いに反省したりもしたのだけれど、山田宏一ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代』をめくっていたら、ゴダールエイゼンシテインマヤコフスキーが比較されていた(ワイズ出版、2010年、152-155頁)。寄り道ばかりの人生だったが、もう少し肯定しても良いのかな、と思えてきた。