午後8時の訪問者

 ダルデンヌ兄弟の『午後8時の訪問者』をシアターキノで見た。レイトショーに行ったのは久しぶりだ。

 新聞記事などでは移民排斥に反対する作品という紹介が多かったので、あんまり期待しないで見に行ったのだけれど、薄っぺらな社会派ドラマではなく、もっと過剰なものが含まれていた。

 殺された少女の名前を探す女医というハードボイルドな物語があって、真犯人を知る少年、被害者に売春をさせていたチンピラ、被害者の客、と怪しい人がぞろぞろ出てくる。そこまではありふれた枠組みで、皆が見捨てたから被害者は死んでしまったんだよ、見捨ててはいけないんだよ、というメッセージも明確なのだが、主人公の女医さんは何でまた、憑依されたかのように死者の名前を探し続けるのか?実は被害者を見捨てたという罪悪感ではなく、研修医にモラルハラスメントをしていたという罪悪感に動かされているのではないか?あるいは、攻撃対象の研修医がいなくなったから、患者やその家族が新たな攻撃対象として選ばれたのではないか?いや、いろいろな疑問が浮かんでくる。

 主人公には相談できる友達もいないみたいだし、ちょっと特異なキャラクターではあるんだよね。医師には守秘義務があるといっても、この映画ほど厳密には守っていないのではなかろうか?うっかり誤診したとか、メスを持つ手が滑ったとか、救急車を受け入れるのに時間がかかりすぎたといった理由で患者の命を奪うようなことはたいていの病院で起きているだろうから、たった一人の死で動揺する主人公は少し経験値が低すぎるんじゃないか?そんなふうに思ってしまう私は、医療への不信感が強すぎるんですかね?

f:id:kazuhisaiwamoto-su:20170623021843j:plain

 ともあれ、納まりが悪いので、映画としては印象深いものだった。

 主人公以外の登場人物も、うわべを繕うことだけに熱心な患者の家族とか、父親に虐待されたトラウマを抱えた研修医とか、被害者に嫉妬する姉とか、心のどこかを病んでいる人が多いのだけれどね。それらの脇役を押しのけて鬱陶しいまでの存在感を示していたのは、やはり主人公だ。むくんだ魚みたいな顔をして、いつも青やら赤やら単色のシャツを着ていて、妙に背も大きいし、まったく関係ないのだけれど『めまい』のキム・ノヴァクを思い出してしまった。