祈り

 昨日は朝6時から夜6時まで働きづめで、家に帰りたいところだったのだけれど、テンギス・アブラゼ監督の『祈り』を見に行った。シアターキノでは1日1回しか上映していないので、昨日を逃すともう見る機会がなさそうだったのだ。

 半世紀前に作られた映画といった程度の情報しか知らずに出かけたのだが、想像以上に重厚な映画だった。こんな骨太の映画を見たのは、本当に久しぶりのように思う。現代社会が忘れてしまった真摯な精神がみなぎっている。

 冒頭から顔のアップが延々と続く。それらはエイゼンシテインやドヴジェンコの影響だろうが、圧倒的だ。

 詩人の前に現れた女神が悪魔と結婚させられ、絞首刑に処されるという寓話、殺した敵の右手を切るという風習に従わないため村を追われるキリスト教徒、キリスト教徒を家に招いたため村人から迫害されるムスリム、という3つのエピソードから構成されている。主人公たちは破滅に追い込まれても信念を曲げず、信念を曲げなかった者の心は肉体が滅んでも消えないとされる。ローカルな文化をエキゾチックに描くのではなく、芯の通った生き方が示される。

 スターリンの死後15年も経たないうちに作られた映画だから、集団行動が悪や暴力に傾いてしまうという主題はスターリニズムの経験にもとづくものだろう。だが、そのような特定の時代や場所を忘れてしまうのは、純粋で強靭な精神が映画を支えているからだ。

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炭の残り

 地震で停電した時に買った炭が大量に余ってしまったのだが、ほっておくと臭いが付いたりするらしいので、もう一度バーベキューをして、箱を開けた分だけは使い切ってしまうことにした。

 そんなわけで昨日は学生を呼んで、家の庭で焼肉。中途半端に残っていた炭はきれいになくなった。11月になったら寒くなるだろうから、こういうこともできない。

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 箱に入ったままの炭で、あと3~4回、バーベキューができそうなのだが、雪が融けたら企画してみるかな。

希望の樹

 午前中はPTA活動で「落ち葉拾い」をするというので中学校に行ったら、「落ち葉拾い」ではなく、中学校の前の歩道の花壇の花を抜いて、チューリップなどの球根を植えるという、植え替え作業だった。

 抜いた花は捨ててしまったのだけれど、少しもらって家のプランターに植えた。根が付くかどうかは不安。

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 昼食後、眼鏡のフレームが壊れていたので、新しいフレームに入れ直してもらい、夜は見やすくなった眼鏡をかけて、シアターキノで『希望の樹』を見た。

 『希望の樹』の日本公開は1991年なのだが、今、見直してみると世界の諸民族の映画に文化人類学的な関心が寄せられ、『へるめす』などがカーニバルを称揚していた80~90年代の空気が思い出される。同時多発テロ事件や新自由主義経済などに押されたのか、バフチン的祝祭も大江健三郎的ミクロコスモスも流行は過ぎ去ったように思えるのだが、もう一度、世界に「樹」を探すべき時代が訪れているのではないかと、映画を見ていて思った……映画の中で男性中心主義が否定されているように、もちろん権威主義的な「樹」を打ち立てるわけにはいかないのだが。いろいろなイメージが都市に溢れていた80年代と比べて、今の時代はやはり空虚すぎるのである。

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ちえりあ

 地震の時は研究室は何ごともなかったのだが、自宅の部屋は軽いプラスチックのタンスが転倒し、ごみ溜めのようなことになってしまっていた。それを日曜日にようやく片づけた。

 そんなわけで日曜日には授業の準備はできず、月曜日の朝7時に出勤して間に合わせた。いつもと違う時間に研究室に行くと、光の外の風景も違って見える。そんな悠長なことを言っていられたのも最初だけで、出張届の作成や学生とのイヴェントの打ち合わせ、翌日の中間テスト問題作成などがあり、深夜1時頃まで働き続けねばならなかったのだが。

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 火曜日もいろいろなことが重なった日で、健康診断、教育研究協議会(教授会)、札幌スキー連盟安全対策部総会と朝から晩まで盛り沢山だった。安対部の会議では、札幌市の生涯学習センター「ちえりあ」に初めて行った。迷子になりそうなほど大きな施設だったので驚いた。会場の部屋にたどり着くまでが大変だった。

FD研修会

 今週は授業の準備の他に、原稿を1本書いたり、出張の報告書を作ったりと、なかなか忙しかった。昨日も1日中、忙しく、午前中はヨールカ祭の打ち合わせと、イタリア史劇についての講義。

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 午後は図書館1階のS-WingでFD研修会。

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 夜は「きたえーる」で札幌スキー連盟教育本部の合同専門委員会。

 9時すぎに家に帰り、ビールを飲んですぐに寝た。

開拓の遺産

 札幌の学生を鹿児島に連れて行く前に、市内で保存されている開拓の遺産や記念碑をめぐった。北海道開拓使は薩摩閥だったので、屯田兵も炭鉱もサッポロビール薩摩藩士による事業である。

 北海道開拓100年記念事業の反省から、開拓の顕彰が批判されている北海道なのだが、「触らぬ神に祟りなし」と忌避するのはよろしくない。たとえば、札大のエントランスの北海道150年の展示は、150年前に焦点を当てるがゆえに島義勇による札幌市の設計で終わってしまっているのだが、それ以後の150年間を無かったことにしてしまってはまずいだろう。囚人労働や朝鮮人連行、アイヌ差別など影の部分も含め、批判的に学んでいかなければなるまい。

 やはり鹿児島では北海道と違い、「島津斉彬の先見の明と西郷隆盛らの活躍により日本は植民地化をまぬがれた」という理解が根深いのだが、今回の旅は北海道からの参加者に沖縄出身の学生がいたので、ナショナリズムを相対化しやすかった。

 豊平館

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 ケプロン黒田清隆像。

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 永山武四郎邸。

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清華亭。

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琴似屯田兵屋。

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エドウィン・ダン記念館。

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