夕陽の中央モール
論文を書くのに必要な本を借りに、北大の図書館に行った。夕陽を浴びた中央モールが一面、緑に染まっていて、なかなかきれいだった。
カスタムフェア2019
昨日はICIスポーツのカスタムフェアに娘を連れて行った。
娘のウェアを注文した。
お金持ちの家の子は高価なウェアを毎年、買い換えているわけなのだが、うちの子にはジュニア用のウェアを3年に1度、買い与えるだけにしていた。ただ、先シーズンは表彰台に乗る機会も何度かあり、ボロボロのジャケットで人前に出るのは少しかわいそうだったので、今年は値の張るウェアを新調することにした。
そうは言っても来シーズンは小学生の部ではなく、中学生の部で上級生と競わねばならないわけだから、表彰台は遠いだろう。新しいウェアがボロボロになる頃に、また表彰台に立てればいいと思う。
キラ・ムラートワの訃報
ウクライナのオデッサでロシア語映画を作っていたキラ・ムラートワがこの世を去ったことを、今朝、知った。83歳だったという。
ムラートワの名前を始めて知ったのは1991年のことで、キネカ錦糸町の「ソヴィエト女性映画週間」で『無気力症シンドローム』が上映されたのだ。監督もゲストとして来日していたらしい。だが、この時は見逃してしまっていて、というのも紹介文を読んでいたらヒステリックな社会派映画のようだったので、わざわざ見に行こうとは思わなかったのだ。ヒステリックを通り越した傑作であると知ったのは、それから10年くらい後に、この映画をモスクワで見た時のことである。
1994年にバウスシアターで『長い見送り』が公開された。これは映画館で見た。冒頭の植物園の瑞々しい風景から、作品に引き込まれた。
その後、2001年にモスクワの映画館「ハンジョンコフの家」で『二流の人々』が上映された時、監督本人の舞台挨拶を見ることができた。映画博物館では『短い出会い』も上映されていた。ビデオやDVDでムラートワの作品を集めて、片端から見た。
無声映画風の固定カメラへの志向、変質者などアウトサイダーに向けられた優しい目、観客を苛立たせるセリフ回し、そして何よりも光に包まれた瑞々しい映像、それらはあまりにもユニークなものではあったが、子供部屋の宝箱のように輝いていた。
『長い見送り』は今でも全国各地でしばしば上映されているようだし、2009年には東京で『調律師』や『ダミー』(製作年からすると Два в одном のことか?)が上映されたらしい。彼女が遺した作品はどれも、誰にでも愛される性格のものではないのだが、その世界に魅了された者はこれからも彼女の名を語り継いで行くことだろう。
知って楽しいスラブ・ユーラシア地域!
北大祭に行った。昼食は新疆ウイグルの模擬店で、ラム肉の串焼きと焼きそばを買った。
スラブ・ユーラシア研究センターでは「知って楽しいスラブ・ユーラシア地域!!」という展示をしていて、高橋沙奈美さんが「ロシア皇帝一家殺害事件-革命と贖罪の100周年」と題したレクチャーをしていた。学問的な検証に耐えうる皇帝殺害現場や埋葬場所とは別の場所が、聖地として信仰の対象になることが指摘されていたのだが、学者にとって大切なことは批判的に対象に接することだと、改めて考えさせられた。
文学研究の世界だと、創作行為を無条件に素晴らしいものとみなし、批判的精神を忘れてしまうケースが稀にではあっても、いまだに見られる。私より若い世代にもそういう人はいるのである。
天神藤
土曜の午後、平岸の天神藤を見に行った。明治の初めに植えられたものだそうだ。