金魚坂
博士論文の公開審査をするため、東大に行った。
提出された論文のテーマの関係で遠くから呼ばれたわけだが、後進の育成にわずかでも関われたということになるのだろう。貴重な経験をさせてもらった。
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審査の後、金魚坂というカフェで、出席されていた方々との夕食会があった。
金魚屋さんに併設された店で、入り口には金魚の水槽が並んでいる。
根を下ろすトルストイ
学期末も近づいていて、トルストイ「セルギイ神父」の講読の授業も今日でおしまい。
トルストイの回りくどい文章は学生の実力からすると難しすぎた、というのが反省点だが、やはりこのくらいの強度のある小説でないと学生の心を打つことは難しいだろう。履修者の反応はさまざまだったが、いずれにしてもこの小説が彼らの想定していた水準を凌駕していたことは間違いない。
「神の道」を問うこの小説が現代日本でアクチュアリティを持つのか、という問題提起をした学生もいて、いやいや、グローバリズム化の中でむしろトルストイは輝きを増しているのではないか、という議論にもなったので、本当に良かった。
そんな議論の中で改めて思ったのだが、清貧や非暴力といったトルストイの考えはキリスト教だけでなく仏教にも通じるところがあって、もう私たちの文化の基礎に組み込まれているように思う。トルストイを読まない人でも、その心の中には初めからトルストイが住んでいるのだ。
6:25発
授業に間に合うようにと、羽田を6時25分に出る飛行機を予約した。
泉岳寺のホテルに泊まったのだけれど、余裕を持って空港に到着するためには5時23分発の京急に乗らねばならない……ということは、4時起きだ!! 何だか、スキーの大会に行くみたいだ。
最後の荷造りにもたついてしまい、ホテルからホームまで走ることになったのだが、京急には無事に乗車することができた。新千歳空港に到着したのは8時頃で、大学に直接向かうバスが出るまでには50分も時間があったので、JRと地下鉄を乗り継いで一旦、家に戻り、車で出勤した。バスよりも早く大学に着いたはずだ。
しかし、これなら飛行機通勤とかできそうだな。予備校の人気講師の人は、こういう移動をしているのだろうな。
きぬかけの道
昨日は研究会で北大にいたのだけれど、今日はJSEESの理事会があったので、京大である。明日はロシア文学会の理事会で東大。
まあ、JSEESの理事もロシア文学会の理事も秋で退任なので、巡礼のような旅もこれが最後だ。
京都に来ることも今後はなかなかないだろうから、会議の後で龍安寺に行くことにした。これまでなぜか、行く機会がなかったのだ。
ところが、京大から龍安寺に行くのが難しく、バスに乗ったら龍安寺ではなく、北野天満宮に来てしまった。
北野天満宮に参拝した後、二度目は失敗しないようにと、コンビニでバス停を教えてもらったのだが、そのバスが向かったのは龍安寺ではなく仁和寺だった。何か見えざる手に導かれるように仁和寺を参拝したのだが、金堂や観音堂が修復中でちょっと残念……しかも、暑さでスマホのカメラが動かなくなり、写真も撮れず。
もうバスに乗るのはやめ、仁和寺から「きぬかけの道」という坂道をスーツケースをガラガラ引きずりながら登ると、龍安寺に出た。ピリピリした場所かと思っていたのだが、外国人観光客や修学旅行生がおしゃべりしている、なかなか楽しげな空間だった。とはいえ、そんな喧騒を気にせずに沈黙を感じ取れるのだから、やはりすごい庭なのだろう。
あ、二枚舌
社会主義リアリズム美術をテーマにした「ユーラシア表象研究会」というのを聞きに、夕方、北大まで行ってまいりました。
2つの発表を聞きながら思ったのは、「芸術家は善」とか「権力に抵抗するのが芸術家」みたいな考え方はまだ根強いのかなあ、ということですかね。あ、亀山先生が「二枚舌」を強調された影響もあるのかも……。
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ところで、地下鉄の最寄りの駅に行く途中で、スーツケースが壊れてしまったのだ。いつ買ったのかさえ覚えていないものだから、壊れても当然なのだけれど。
研究会に行く前にエスタのビッグカメラに寄り、同じ機内持ち込みできるサイズのものを買った。ゆっくり選んでいる暇もなかったので、値段が手頃で、しかも軽いという基準だけで選んだのだが、どうやらアジアラゲージという21世紀に入ってから日本で設立された会社の品らしい。
欧米の有名ブランドを買えばいいというものでもないのだろうから、良い買い物ができたのかもしれない。