バリウム初体験

 昨日は職場で健康診断があって、生まれて初めてバリウムを飲んだのですがね。

 特に注意も受けなかったのだけれど、バリウムって危険が伴うようではないですか!! お腹に残ってしまうと固くなって、腸が破れたりとか、腸閉塞を起こしたりとか。ネットのガセネタではなく、そういう症例が医学雑誌に報告されたりしておりますよ。

 これを知ったのは研究室に帰ってから、下剤を処方されたけれどコーヒー飲んでもいいのかなと、ふとグーグル先生に聞いたからでして……背筋が凍ります。

 そんなわけで検査後はコーヒーもビールも我慢して、もう水ばかり飲みましたよ。腸に水分を送るため、利尿作用のあるものは飲まない方がいいという助言が、ネットで流布していたので。これも理にはかなっているので、たぶんデマではないんじゃないかな?

 今日のコーヒーはうまかった。

広告を非表示にする

変革に向けた言葉

 土曜日と日曜日は上智大学で日本ロシア文学会だった。

f:id:kazuhisaiwamoto-su:20171017014158j:plain

 桑野先生が学会大賞を受賞されて記念講演があったのだけれど、過去の研究会や出版された著書、訳書を振り返る中に、「自分の仕事は研究ではない」とか「引用される言葉を」と箴言のような厳しい言葉がポツリポツリと入っていた。最近の大学の動向を参照しながら一言でまとめるとするならば、「世界水準の研究を目指すのでも、啓蒙的な教養教育を目指すのでもなく、社会変革に向かう言葉を発すべきだ」ということだったのではないかと思う。桑野先生のことだから「そういうお話だったんですよね」と聞いたところで、「いやあ、ううむ」と言葉を濁し、「君はわかってないね」という顔をされるに違いないのだが。

 世界水準の研究拠点(旧帝大などの一部)とか、地域への貢献(地方国立大や地方私大)とか、国からミッションを与えられているのが今の大学であり、学者なのだが、それらとは異なる道もきっとあるのだろう。といったところで、自分がどこへ向かうべきかは分からないのだが、歩いていればきっとどこかに辿り着けるだろう。

広告を非表示にする

雅司先生

 昨日は東大でチェーホフ・シンポ。予定調和的な形にならず、面白かった。
 ユジノサハリンスクチェーホフ博物館の館長代理のフィルソヴァさんはサハリンで暮らす流刑囚の子孫を追った映画を紹介していたが、逆に研究員のステパネンコさんの資料分析からはチェーホフの作品の「逃走」のテーマが顕在化していた。私はチャコフスキー『こちらはもう朝だ』という、第二次世界大戦直後のプロパガンダ小説とチェーホフの関係を論じたのだが、そこでの問題になっていたのもやはり、島からの「逃走」であったのだと、お二人の報告を聞いて思った。この小説自体が、戦後のサハリンへの移住をうながすものでありながら、チェーホフの「逃走」の主題がそこに浸透してしまっている。
 トリを飾ったのは渡辺雅司先生。30年前と変わらぬ爽やかな口調を聞けたのは、とてもうれしいものだった。

広告を非表示にする

ずんずん

 木曜日の報告の原稿を書いて、立命館加藤周一文庫についての公開講座を聴いて、夕方には雨の中、工藤正廣先生の個展を見に行く。そのあと道立文学館まで本を返しに行き、帰宅したのは9時過ぎ。出張の前日だというのに、忙しすぎだ。とはいえ、町のあちこちで活躍されている方々の息づかいを感じられるようになるためには、あちこち、ずんずん歩かなければ。
 講演を聞きに行ったら、望月哲男先生が司会をされていて、何だか夢でも見ているみたいな不思議な気持ちになる。立命館大学加藤周一文庫ノートをデジタルアーカイヴ化して公開したり、講演会を開催したり、活発に活動されているようだ。一方で、同じ京都で桑原武夫の蔵書が廃棄された事件もあり、強い危機意識を抱いてもいるとのことだった。
 工藤先生の絵はロシアの20世紀絵画の影響もあるように思うのだが、つまり、工藤先生が人生の中でつちかってきた世界が確かに存在していることを感じさせるものだった。

広告を非表示にする

ロシアと日本におけるアントン・チェーホフの『サハリン島』

 昨日はサハリン大学のエレーナ・イコンニコヴァさんに札幌大学にお越しいただき、学生のために「ロシアと日本におけるアントン・チェーホフの『サハリン島』」という講演をしていただいた。

 9月のサハリン大研修の時の記念Tシャツを着ての講演で、研修に参加した日本の学生たちも先生に付き合ってTシャツを着ることに……私も着たよ。

 大学(ユニヴァーシティ)というのは全世界(ユニヴァース)への窓口なのだから、こうやって外部の人がやってきてくれて、風通しが良くなるというのはありがたいことだと思う。札幌大とサハリン大の距離は400キロ、チェーホフが旅したモスクワとサハリンの距離は1万キロ。世界は大きいけれどつながっている。

 ***

 エレーナさんは明日、東大で報告をする予定なのだが、そこでは私もチャコフスキーの社会主義リアリズム小説の中のチェーホフサハリン島』の引用について報告をすることになっている。

 報告のためのロシア語原稿を、ようやく今、書き終えることができた。

チェーホフ研究報告会と対話

 道立文学館の講演会に行った。

 エレーナ・イコンニコワさんが日本の樺太/サハリン文学(日本人作家が樺太/サハリンをテーマにした作品)について講演した。それから詩人の蜂飼耳さんによる二ヴフの神話にもとづく自作の詩の解説と朗読があり、さらにエレーナ・バチニナさんによるピウスツキとその家族の人生、それをもとにしたドリンスク村の伝説についての紹介があった。

 学術的な会ではなかったけれど、「文学」の向こうにサハリンの生活や風景が浮かんでくる、面白い場だった。サハリンを知りたければサハリンに行けばいいのだが、「文学」のフィルターを通すと、ただ現地に立った場合とは違い、歴史的時間や心象などによって重層化された場が見えてくるのである。

 その後、詩の朗読の時間が設けられていたのだけれど、合宿から戻る子供を迎えに行かなければならなかったので、会場を後にした。

f:id:kazuhisaiwamoto-su:20171009214120j:plain

ロシア詩のつどい

 札幌大学で「ロシア詩のつどい」が開催された。

 ロシア語専攻の1年生らがロシア詩の暗唱のコンクールを行い、それから3、4年生も参加したブルガーコフ「犬の心臓」の演劇や、マヤコフスキーの詩の朗読があり、さらに学外からいらした方々(ロシア語話者の方が多かった)による詩の朗読、それから中川速男さんによるギターの素晴らしい弾き語りと、盛り沢山な内容だった。

 私の担当はコンクールの審査委員長だった。審査員は日本人2名、ロシア人2名の構成で、おおよその採点は皆、一致するのだが、中には日本人とロシア人で評価が割れる学生もいた。理由を聞くと発音に難があるということなのだが、日本人のロシア語教師には許容範囲でも、ロシア人にとっては気になる発音もあるということなのだろう。

 札幌大学のロシア語教育は「習うより慣れよ」というところが伝統で、たとえばロシア革命やそれを振り返る意義(たとえば、ポピュリズムの問題など)をまったく説明しないまま、いきなるブルガーコフの小説やマヤコフスキーの詩を体に叩き込まれるので、学生たちは自らの活動の意義を100%理解しているわけではない。知識を増やすのではなく、まずは言葉を身体化するというこの教育方法は、「声に出して読みたい日本語」にも通じる非常に素晴らしいもので、私は20年近く前からある種の憧れと敬意を抱いていたのだが、今日の場合も特に後半の学外者の方々のパフォーマンスは通訳も一切なかったため、1年の学生たちや見学に来ていた新陽高校の生徒さんたちにとっては、外国に来ているような疎外感を与えるものになってしまったかもしれない。

 公式の招待者もモスクワ大学の先生方や領事館の書記官の方など豪華だったのだが、その社会的な、あるいは国際的な意味(札幌の若者にロシアがかける期待)がどこまで伝わったのかも、いささか心配ではある。

 領事館やモスクワ大の方々を前に進行を乱して割り込むわけにもいかないので、会の終了後になってから顔見知りの何人かの学生に、『犬の心臓』の政治的な意味を、今日、どれだけ大切な営みをしていたのかを簡単に説明してみた。自分の存在の大きさ、自分の関わっている活動の素晴らしさを、正確に見積もってもらえたらと願う。

広告を非表示にする